社会理論研究会とは

 社会科学者の任務は現状分析から始まり、現状分析が現状批判へと接続されて、社会のより良い方向への処方箋を提示することが期待されてきました。そのような使命を果たすためには、現状において見出される問題点を反体制的観点から捉え、これらの問題点を社会構造との連関において、かつ社会変動を規定する原動力の不可避的発展の方向において分析し、解明しなければならないと考えられてきました。しかし、あまりに急激な現状の変化を前にするとき、従来の分析方法では、その対象の喪失という問題を回避し得なくなる場面というものが想定されざるを得ません。

 イマニュエル・ウォーラーステインは、Unthinking Social Scienceにおいて、グローバリゼーションや民族問題の噴出により国民国家を軸とした近代社会の構造が、激震の末に変貌を遂げたことをうけて、社会科学の存続は、「Rethink(再考する)」ではなく「Unthink(考え直す:すなわち、元に戻して一から考え直す)」という学的営為によってのみ果たされることを示唆しました。19世紀の近代社会の産物としての出自を帯びる社会科学は、近代世界システム崩壊の兆しをうけて、その方法論をめぐる修正を迫られてきたのです。

 とはいえ、社会科学には、決して変遷し得ない核心的な要素が含まれています。そもそも科学とは、事実の認識を通じて、普遍的に、すなわち価値判断の如何に捕らわれることなく妥当する真理を追求する学的営為です。社会科学は、価値からの自由、換言するならば、科学としての普遍性を志向するというあり様を追求してきました。しかしながら、マックス・ウェーバーが、社会科学において価値判断から完全に自由な形で妥当する真理というものはそもそもあり得ないと喝破したように、社会科学が分析対象として措定するいかなる概念にも、価値判断は含まれているのです。

 「社会科学の父」と呼ばれたカール・マルクスは、『経済学批判』の緒言において、近代社会の分析の基礎を経済学に求め、経済と政治、法律、宗教、芸術、イデオロギー等との関係を、下部構造による上部構造の規定という関係として把握し、経済を基礎とする社会・人文科学の相互関連性を明らかにしました。そもそも社会科学とはSocial Scienceの訳語であり、SocialとはLiving in Groupsを意味する言葉です。人は類的存在であり、真空の孤独の中でその生を営み得るものではありません。それでは、私たちの眼前にある現代社会のなかで、人とはいかなる主体であるでしょうか。かつて近代社会科学において当然視された人の主体性なるものは、急激な現状の変化の前に、きわめて不可視的な状態に至っています。

 国境を超える国際的な広がりの中で、移民が行き交うグローバル化、家族構造の変化、ジェンダー規範の変化など、現代的で多様な諸論点に向き合うとき、従来の社会理論とは異なる「現代社会理論」という表層と実質が、次第に顕現化してきているように思われます。本研究会は、そのような問題意識を共有する研究者らによる共同体として産声を上げました。本研究会の成果が、現代国際社会における多様な問題の解決に向けた処方箋を僅かでも提供することができれば、これにまさる喜びはありません。