SNS上の違法表現と表現の自由
1. SNSにおける違法表現
今や我々の生活には欠かせないものとなったSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)。直訳すると「社会的なネットワークを構築するサービス」となる。ネットワーク上の個人間を結合し、社会的ネットワークを形成するものである。
SNSには、狭義のものと広義のものとの二種類がある。狭義のSNSとはクローズ型と呼ばれるもので、Facebookなど実名登録でなければ参加することができず、一定程度閉ざされた中での交流が行われるものである。登録されたメンバー間における情報や写真の共有、チャットによる交流、音声通話やビデオ通話によるコミュニケーショなど、多様な交流をすることができる。
広義のSNSとはオープン型と呼ばれるもので、TwitterやInstagramなど、会員登録をしていても閉ざされた空間ではなく、基本的に誰もが閲覧できるものである。社会的なネットワークを作り出すという広い意味でのSNSという性質を持つ。
最近では、SNSといえば広義のオープン型を指すことが多い。SNSの社会的なネットワーク形成機能により、インターネットを通じて広く結びつき、情報共有をするためのプラットフォームとして広く活用されている。
その一方で、SNS の普及により解決しなければならない問題も生じている。その一つが誹謗中傷、脅迫、業務妨害、名誉毀損や差別表現である1。本研究は、このうち誹謗中傷に関わる事例を取り上げて、表現の自由との関わりを論じるものである。
一般募集などで集まった男女6人が、シェアハウスで共同生活をするという設定のリアリティー番組「TERRACE HOUSE TOKYO 2019-2020」。ひとつ屋根の下で暮らす若者の恋愛を軸に、様々な人間模様を描くという趣旨の番組である。この番組に出演していた、女子プロレスラーの木村花さんが、2020年5月23日に自ら命を絶った。
- 65 -2020年3月31日に放映された第38話「Case of The Costume Incident」。共同生活者が木村さんの「命の次に大事な」プロレス用コスチュームを誤って乾燥機にかけてしまい、縮んでしまったコスチュームを手に、木村さんが、「一緒に住むんだったら、人のこともっと考えて暮らせよ!限界だよもう!自分のことしか考えてないじゃん!」と激怒、「ふざけた帽子かぶってんじゃねえよ!」と、頭から帽子を取り、投げ捨ててしまうという場面が放映された。
これをめぐりSNS上で木村さんを批判・攻撃する動きが拡大する。それを苦にしたことが、木村さんの死の原因ではないかと見られている。ツイッターでの木村さんの投稿へのコメント「リプライ」では、第38話配信日から、亡くなる前日の5月22日までのおよそ2200件のうち、4割近くが、「不愉快」「お前が悪い」などの批判的な内容のほか、「(番組から)出ていけ」とか「消えろ」などといった攻撃的なツイートで占められており、中には「死ね」という言葉まであった。木村さんは、ツイッターに「毎日100件近く率直な意見。傷付いたのは否定できなかったから」などと投稿した後、命を絶ったと見られる。この番組は打ち切りが決定した。
SNSという媒体を用いたコミュニティサイトとして、「学校裏サイト」というものが存在してきた。特定の学校の情報や話題を取り扱う非公式のコミュニティサイトである。多くが、在校生により立ち上げられており、スマホ等から誰でも簡単にアクセスできる無料掲示板やSNSを使っての開設という形が一般的である。
2002年頃からその存在が認知されるようになった「学校裏サイト」については、種類も様々で、学校別、学年別のものがある。ブラウザ機能が実装された携帯電話を多くの児童・生徒が所持するようになった日本社会の世相と、「学校裏サイト」の拡大は相関関係にある。スマホ普及以前、学校教育現場で「裏サイト」問題は存在していなかった。
投稿される情報には、学校の教師、児童・生徒をめぐる噂話程度のものから、特定個人の誹謗中傷、個人情報、特定生徒の裸の写真画像の投稿まで多様なものがある。「いじめの温床」となることが多く、被害者が精神的な病に追い込まれたり、転校・転居を余儀なくされる事例も少なくない。学校側がその存在を検索しようとしても、パスワードでロックされていたり、携帯電話からのアクセスのみが許可されていて、パソコンからは閲覧出来ないというものも少なくない。
- 66 -「学校裏サイト」上でのいじめ被害について有名な事例としては、兵庫県「私立滝川高校いじめ自殺事件」(2007年7月)がある。校舎から飛び降り自殺をした男子生徒が、いじめ加害者5人の氏名を明記し、金品の恐喝などのいじめを受けたと訴える遺書を残していた。金銭数十万円の要求のほか、「学校裏サイト」に被害生徒の裸の写真や、誹謗中傷、住所・電話番号等の個人情報を内容とする投稿が掲載されたこと等が明らかとされた
2. ネット上の投稿被害に対する処罰のあり方 -「プロバイダ責任制限法」
ネット上の書き込みにより被害を受けた場合、どのように対応すればよいのだろうか。これについては、損害賠償を請求する手段が法的に整備されている。そのために存在する法律が、「プロバイダ責任制限法」2である。
「特定電気通信」とは、WEBサイトや電子掲示板、インターネット動画やインターネットライブ配信等のことであり、「プロバイダ責任制限法」の対象は特定電気通信の役務を提供する者を幅広く含む。「プロバイダ責任制限法」という名称ではあるが、その対象は、サーバー、回線の管理会社(プロバイダ)にとどまらず、SNSや掲示板の運営者(サイト管理者)も該当する。対応の流れは下のようになっている。
- 裁判所を通じてSNS、掲示板の運営会社(サイト管理者)にIPアドレス開示を請求。
- サーバー、回線の管理会社(プロバイダ)に対し、そのアドレスを根拠に投稿者の氏名・住所等の情報開示を請求。
- 裁判所に損害賠償請求訴訟を提起。
損害賠償を求めるためには、その前提として、被害者本人により、加害者である投稿者が特定されなければならない。さらに、一回の手続で多数の投稿者の情報開示を請求することが出来ず、投稿者が多数であればその数だけ開示請求手続が必要となるという制度のため、投稿者特定のより容易化すべきであるという意見や、加害者が多数いる場合にどう被害者を守るかという問題が指摘されてきた。
- 67 -また、下記のように4層にわたる関係者の多さもあり、現実的には誹謗中傷書き込みの削除は容易ではない。
- サーバー、回線の管理会社(プロバイダ)
- ブログ、SNS、掲示板の運営会社(サイト管理者)
- 当該掲示板、ブログの持ち主(「管理人」=利用者)
- 書き込んだ者(発信者)
発信者の身元情報開示については、概ね次のような経緯を辿ることが多い。
- サイト管理者に IP アドレスの開示請求→拒否(放置)
- 裁判所に IP アドレス開示の仮処分命令申請→IP アドレスからプロバイダがわかる
- プロバイダに「発信者の氏名・住所の情報開示」を請求→回答拒否(放置)
- プロバイダを被告として、発信者情報開示訴訟→訴訟に勝って、初めて「発信元の PC」を特定することが出来る
損害賠償請求の手続には通常1年ほどかかり、費用も数十万円かかる。賠償金として得られる金額(10~50万円程度)を考慮すると、かけた費用に見合わないケースが圧倒的多数を占める3。
政府は、「憲法が保障する「表現の自由」に配慮しつつ、海外の事例を参考に、SNSのサービスを提供するIT企業に一定の責任を課す方法や、匿名発信者の特定を容易にしたり、誹謗中傷した人への罰則を設けるなど法整備も含めて検討する」という姿勢を見せている4。
SNS上での投稿は、憲法21条によりその自由が保障されるところの「表現」行為である。現在、政府が検討を開始した「法整備」の方向性は、そのような「表現」が人を傷つけるものであるとして、これに制限を加えようとするものである。この事態について考えるためには、まず、「表現の自由」という人権がなぜ大切とされるのか、しっかりと確認する必要がある。
- 68 -3. 法的対応のあり方
木村さんの死後、中傷した投稿やアカウントそのものが相次いでSNSから削除されたが、警視庁捜査1課は、一定期間のページを復元できるソフトを使って投稿内容を確認している。木村さんが亡くなるまでの約2カ月間で、中傷が疑われる約600アカウントの約1200件の投稿が抽出された。「顔面偏差値低いし、性格悪いし、生きてる価値あるのかね」「ねえねえ。いつ死ぬの?」などと、数回にわたって匿名で投稿し、不特定多数に閲覧させて木村さんを侮辱した疑いで、20代男性が侮辱容疑により書類送検された。「番組での木村さんの態度が許せず、他の出演者に成り代わり復讐のために投稿した」と容疑を認める供述がなされたと報道されている。
捜査1課は名誉毀損容疑を視野に捜査を始めたが、「死ね」「消えろ」などといった抽象的な暴言にとどまり、同容疑を成立させるような具体的な投稿を確認することが出来なかったことから、法定刑の軽い侮辱容疑に切り替え、悪質な投稿を繰り返した男性1人について立件する方針を立てた。
刑法231条に規定されている侮辱罪とは、事実を摘示することなく、公然と他人を侮辱した場合に成立する犯罪である。
不特定多数の人が認識できる状況で人を侮辱した場合に成立し、「ばか」「死ね」など抽象的な中傷でも該当する。法定刑は刑法で最も軽い拘留(30日未満)または科料(1万円未満)。一方、名誉毀損罪(3年以下の懲役・禁錮または50万円以下の罰金)が成り立つには、「上司と不倫関係にある」など具体的な事例を示す必要がある。2019年立件のインターネットを使った犯罪(9519件)のうち侮辱容疑は22件、名誉毀損容疑は230件。
侮辱罪に対する刑罰は、「1万円未満の科料」、「30日未満の拘留」という軽いもの。しかし誹謗中傷が何件も積み重なれば、人の命を簡単に奪うほどの威力を持つということが広く認識される必要がある。自分の言葉が、相手の心を傷付けるものでないか、SNS上に書き込む前に考える必要があることを、教育等を通じて啓蒙していく必要が指摘されている。
- 69 -刑法230条により規定される「名誉毀損」とは、「不特定又は多数の者に対して、ある特定の者の信用や名声といった社会的地位を違法に落とす行為」のことである。事実を摘示し、公然と、人の社会的評価を低下させた場合に成立する。法定刑は、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金。「事実を摘示」とは、具体的な事実のことをいい、真実であるかは問われない。「名誉棄損罪」における「名誉」とは、個人が他者から受ける評価ではなく、一般に人として社会から受ける評価のことをいう。「誹謗中傷」であったとしても、それが「批評」や「論評」であるならば、「批判の自由」は「表現の自由(言論の自由)」にも関わり、その批判の妥当性については裁判所の判断の対象ではなく、刑事処罰をすることは出来ない。つまり、個人の自尊心やプライドなどの「名誉感情」を傷つけられたことではなく、「社会から受ける一般的評価を低下させるおそれのある行為」が要件ということになる。
「侮辱」とは、事実を摘示せずに、公然と、人を侮辱した場合に成立。「事実を摘示しない」とは具体的事実を伴わないということであり、「馬鹿野郎」、「死ね」などが該当する。
4. 表現の自由とは
戦前の大日本帝国憲法29条は、表現の自由について下記のように定めていた。
29条「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論・著作・印行・集会及結社ノ自由ヲ有ス」
この条文中に見られる「法律の留保」により、治安維持法、新聞紙法等の法律を通じて、国家権力にとって不都合な言論に対する数々の弾圧が行われた5。このような戦前の言論弾圧に対する反省から、戦後に制定された日本国憲法21条は、次のような形をとることになった。
21条1項「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」
21条2項「検閲は、これをしてはならない」
憲法21条1項は、大日本帝国憲法とは異なり、一切の留保のない形で「表現の自由」を保障している。そして2項では、検閲が禁止されている。このような「表現の自由」という人権は、数多い人権の中でもとりわけ重要なものと考えられている。
「表現の自由」は、次の2つの価値に役立つことにより、憲法上の人権カタログの中でも特にから重要な人権とされている6。
まずは「自己実現の価値」である。勉学、趣味、部活動など、多面にわたり自由な表現行為を通じて、人は自己実現を図ることが出来ると考えられている。この自由な表現に対し、国家権力が介入することが許されてしまえば、個人の自己実現は困難化する。
次に「自己統治の価値」である。民主主義にとって、表現の自由は不可欠。選挙では、誰が信頼出来る候補者なのか、その候補者の政策は適切なのかということについて、多くの情報がなければ投票先を決定出来ない。また、政府が権力を濫用するようなことがあれば、主権者として厳しく批判を向けることも必要。報道において情報が自由に流通し、主権者としての自由な「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」が保障されることによって、民主主義は正常に機能する。主権者個人としての「自己統治」にとって、表現の自由は不可欠な人権と考えられている。
日本ではこのような形で憲法上「表現の自由」が保障されているが、例えば、日本の近隣国である中華人民共和国では、日本国憲法が日本国民に保障しているような「表現の自由」が、十分に保障されていない。
北京師範大学文学部の講師を務めた研究者である劉暁波は、2008年に、共産党による一党独裁の廃止と中国の民主化を訴える「08憲章」の起草に携わったことから逮捕・起訴され、2009年に「国家政権転覆煽動罪」により懲役11年という有罪判決が確定した。
服役中の2010年、中国における基本的人権の確立を目指して長期にわたり非暴力的な手段で活動してきたことが評価され、中国国内に住む中国人として、彼は初めてノーベル平和賞を受賞している。しかし、中国政府は授与式への出席を認めなかった。「この受賞は、天安門事件で犠牲となった人々の魂に贈られたもの」と、劉氏は受賞の報に涙を流したという。
- 71 -「国家政権転覆煽動罪」とは、そもそもいかなる罪なのであろうか。劉のとった行動は暴力を振るったわけでもなく、言論を通じて、「すべての人民に開かれた民主的な政治体制の樹立」を訴えたものに過ぎない。2010年のノーベル平和賞授賞式では、劉氏の椅子は空席のままであった。劉氏が中国により裁かれた裁判のために書いた陳述書が、この場で朗読された。
「私に敵はいない。最大の善意をもって政権の敵意に向き合い、愛によって憎しみを溶かしたい」
2017年、末期の肝臓癌に罹患していることが判明し、劉は6月末に仮出所を果たした。その後は、中国医科大学附属第一病院に入院して闘病生活を送ることになった。国際社会からは、劉氏を国外に移送して治療すべきという声が高まったが、医療チームは容態を理由にこれを拒否し、2017年7月13日に劉は死去した7。
ノルウェーのノーベル賞委員会は、平和賞受賞者で中国民主活動家・劉暁波の死去をうけて声明を発表している。「劉暁波の早すぎる死に対し、中国政府は重大な責任を負うものだ」と、中国政府を厳しく非難するものであった。中国メディアは、13日夜に劉死去のニュースを国内向けに流さず、海外メディアの放送も制限された。イギリスのBBCが劉氏の死去を報じた約10分間、中国のテレビでは画面が暗くなり、視聴制限がかけられた。
中国では、1989年6月4日に「天安門事件」が発生した。北京市にある天安門広場で、中国の民主化を求めて集結した学生を中心とする一般市民のデモ隊(約10万人)に対し、軍が武力による弾圧と大量殺戮を決行した事件である。中国では、ヤフーやグーグルといった検索サービスは利用出来ず、「百度」という検索エンジンで「天安門事件」を検索すると、1976年の「天安門事件」に誘導され、1989年の事件は出てこない。1989年6月4日の「天安門事件」は、なかったことにされているのである。「百度」の検索履歴はすべて中国政府に送られている。政権批判を許さない中国では、このように「表現の自由」が大きく制限され、情報の自由な流通も妨げられている。
- 72 -最近では、戦後長らくイギリスの統治下にあり、1997年に中国に返還されて「一国二制度」原理下で特別行政区となった香港で、2020年に中国全人代で可決された「香港国家安全法」が適用されることとなり、世界の注目を集めている。「他人を扇動、幇助、教唆、資金援助」した者を「国家分裂罪」に問うこの法律は、香港における「表現の自由」を弾圧するものであり、「一国二制度」を崩壊の危機に直面させるものとして、国際的な批判を受けている8。
我々は、生まれる国と生まれる時代を選ぶことが出来ない。日本国憲法という、人権が厚く保障される憲法を持つ現代の日本に生まれたことについては、世界各国の事情を考慮すると、大きな僥倖と考えることが出来るのではないだろうか。
さて、日本国憲法21条2項で規定されている検閲の禁止についても見ておこう。検閲とは、出版など表現行為を行うために許可制をとり、公権力が事前に内容を審査し、不適当と判断されればそれを禁止することをいい、歴史上広く行われてきたものである。憲法21条2項は「検閲の禁止」9を定めている。表現の自由の歴史は、このような検閲に対する戦いの歴史であり、歴史的に見れば、表現の自由イコール検閲の禁止と言っても過言ではない。以上のような規定により、「表現の自由」という大切な人権が、厚く保障されていることがわかる10。
5. 人権保障の限界
しかし、いくら重要な人権といっても、表現の自由という人権には限界があり、決して絶対的かつ無制限なものではない。憲法12条が、「この憲法が国民に保障する自由及び権利」は、「濫用してはなら」ず、「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とし、13条でも、尊重される個人の権利が、「公共の福祉」11に反する場合には、「最大の尊重」を受けないと書かれていることから、「国民による権利の行使が、他の国民の権利を侵害するような場合には、制限を受ける」12のである。
- 73 -6. 「プロバイダ責任制限法」
「プロバイダ責任制限法」により、一定の投稿(名誉毀損、プライバシー侵害等の表現、脅迫・業務妨害にあたるなどの違法表現)について、その削除請求や発信者の開示請求が認められている。この「プロバイダ責任制限法」の存在により、日本国憲法下では、他者への名誉毀損等を内容とする場合、「表現の自由」という人権が制限されることになる。
「プロバイダ責任制限法」によって被害者保護を受けるためには、投稿内容がこの名誉毀損に該当するものである必要がある。 「プロバイダ責任制限法」には2つの柱がある13。
- 「プロバイダの損害賠償の責任を制限すること」
- 「被害者保護のため、発信者情報の開示請求権を保障すること」
つまり、プロバイダと被害者という2つの主体を保護する法律ということ。
「プロバイダの損害賠償の責任を制限すること」とはどのような意味であろうか。(1)はプロバイダの責任を制限する、つまり軽くするもので、プロバイダを保護する内容なのである。権利侵害があった場合、被害者側に生じた損害について、プロバイダがあらゆる責任を負うことになると、対応がしきれない投稿や書き込みのためにプロバイダが困窮してしまい、手の打ちようがなくなる。そのため、下記の場合には、プロバイダは賠償責任を負わないこととされている。
〔権利侵害があった場合に被害者側に生じた損害について〕
・権利侵害した情報の送信を防止することが技術的に不可能な場合
・情報の送信が権利侵害することを知り得なかった場合
〔権利侵害の申告を受けて当該情報の差し止めをした場合に発信者側に生じた損害について〕
・停止措置が必要最低限であり、権利侵害を疑う十分な理由があった場合
- 74 -サイト管理者が、SNS上で違法表現により被害を受けたと言われ、投稿を見てみたところ、本当に違法表現による権利侵害に当たるかどうかがよくわからない、素朴な批判とも受け取れる内容であることがある。そこで、この法律は、プロバイダに対し、(1)明らかに権利侵害が起きていると判断される場合以外は削除しなくても被害者に対して責任は負わない、また、(2)削除すべきと判断される場合には削除してしまっても投稿者に対して責任は負わない、ということを定めている。
次に、「被害者保護のため、発信者情報の開示請求権を保障すること」とはどのような意味であろうか。「プロバイダ責任制限法」は、プロバイダが負う損害賠償責任に制限をかけてプロバイダを保護すると同時に、(2)被害者が「発信者情報開示請求」と「送信防止措置請求」をとることが出来ること(被害者保護)も定めている。ネット上の誹謗中傷被害では、投稿は匿名でなされるために、被害者は加害者すなわち発信者の情報を特定することが出来ない。
そこで、被害者がプロバイダに対して違法表現の発信者情報を開示するよう請求出来る権利が規定された14。「発信者情報開示請求」により、氏名、住所、登録された電話番号、IPアドレス、投稿日時、SIMカード識別番号が開示される。発信者を特定し、加害者を特定することが出来れば、損害賠償請求を行うことが可能となる。
さらに、「発信者による送信防止措置請求権」とは、記事の削除や非表示と言った対処のことであり、これ以上被害者への誹謗中傷が広がらないよう被害者を保護するためのものである。
しかし、明らかに名誉毀損やプライバシー侵害といえる内容ですら、SNSや掲示板の運営者(サイト管理者)が見て見ぬ振りをして放置しているという点問題が指摘されてきた。サイト管理者がサイトを立ち上げた後、管理をせずに放置をしているケースも少なくない。そうであればこそ、前述したように、プロバイダを被告として発信者情報開示訴訟を提起し、訴訟に勝たなければ「発信元の PC」を特定することが出来ないという事例が多くなっている。
- 75 -そこで、政府は下記の3点の対策を打ち出している。
- 「削除や発信者開示に対するコスト削減、プロセスの簡易化」
- これは、裁判所に申し立てる請求のプロセスを簡素化し、違法な表現を行っているコンテンツの削除や発信者開示を容易にするという提案である。一回の手続により多数の投稿者の情報開示請求を可能にすることが可能とする等の請求簡素化が実現すれば、被害者保護という見地から望ましいものとする立場である。
- 「誹謗中傷」に対する罰則制定・規制強化
- 名誉毀損やプライバシー侵害をもたらす違法表現にとどまらず、「誹謗中傷」表現に対して罰則を設けるという提案である。安易に他者を攻撃する表現を公開することにより、それが名誉毀損、プライバシー侵害というレベルに達していなくても罰を受けることになれば、誹謗中傷の投稿を抑止することが出来るのではないかという立場である。
- サイト管理者に対するコンテンツ削除の義務付け
- ドイツでは、「ソーシャルメディアにおける法執行を改善するための法律」(2017年施行)により、サイト管理者に対し、ヘイトスピーチ表現の24時間以内での削除を義務付けている(違反すれば罰金刑が科される)。日本でも、ドイツのように、一定の投稿内容についてはサイト管理者に迅速な削除を義務付けるという提案である。サイト管理者が見て見ぬ振りをして放置するという事態が常態化する中で、このような提案は被害者保護という見地から望ましいものとする立場である。
7. 政府提案に対する懸念と将来の展望
以上3つの政府提案は、「プロバイダ責任制限法」の下で、違法表現の投稿に苦しんできた被害者保護のためのものだが、これには問題点も含まれている。とりわけ(2)の、「名誉毀損、プライバシー侵害というレベルに達していなくても誹謗中傷ということで罰を科すという提案」について、「違法とされる「誹謗中傷」と、そうではない「批判」の違いは何なのか」という疑問が向けられている。
- 76 -民主主義社会にとって、「批判の自由」はその前提条件である。戦前の大日本帝国憲法下では、国家権力により不適切とされた言論は悉く抑圧され、権力批判が許されないまま、大日本帝国という国家権力の暴走を止めることを許してしまった。「批判の自由」は、民主主義社会の基盤であると考えられる。
名誉毀損にもプライバシー侵害にも該当せず、抽象的な「誹謗中傷は禁止」という規則が定められてしまうと、「批判の自由」が萎縮し、「自己統治の自由」は大きく後退することになる。「誹謗中傷」と「批判」の区別がそもそも困難であることを踏まえると、安易な「誹謗中傷」規制によって、健全な「批判」までもが封じ込まれてしまい、結果的に日本社会における「表現の自由」が深刻に損なわれる危険が生じる。
また、(1)と(3)は投稿が掲載されてからの事後的な解決手段だが、これらの対策が事前に講じられていれば、今回の木村花さんの自死を防ぐことが出来たかといえば、それは困難だったのではないかと考えられる。死に至る前の木村さんの投稿から、彼女に対する爆発的な一斉攻撃、膨大な数の否定的な攻撃が短時間の間に彼女を襲ったことにこそ木村さんが恐怖を感じていたことがわかる。(1)や(3)のような事後的な措置では、木村さんの自死をとどめることは難しかったのではないかという見地から、政府提案では不十分であるとし、事前にこのような投稿を予防することこそが必要だ、という主張も見られる。しかし、国家権力による「事前の予防」ということになると、前段落で確認された問題が浮上することになる。
それでは、どのような対策が講じられるべきなのだろうか。「ソーシャルメディアにおける法執行を改善するための法律」を2017年に施行したドイツでは、罰金の支払いを回避したい事業者が過剰削除に走り、検閲のような状態に陥った(オーバーブロッキング)。
また、発信者の特定が容易になれば、意見表明を「違法表現」として国家権力に取り締まられないか、という懸念も学界では指摘されている。過去には治安維持法の例があり、SNS上の言論規制をめぐる議論は、あくまで「表現の自由」を担保しながら慎重に進められるべきであるというのが学界の有力な見方である。
- 77 -2020年4月、LINEやツイッター、フェイスブックなどが名を連ねる一般社団法人「ソーシャルメディア利用環境整備機構」(SMAJ)が発足した。木村花さんの死を受けて、SNS上の名誉毀損や侮辱などを意図したコンテンツ投稿に対して取り組みを行うと緊急声明を発表し、「実効性ある取組を行わなければならない」として、禁止事項の明示と措置の徹底など6つの項目が挙げられた15。この法人の代表理事を務める曽我部真裕氏は京都大学法学部の憲法学担当教授、宍戸常寿氏は東京大学法学部の憲法学担当教授である。SMAJの政策は、ユーザーの表現の自由や通信の秘密を最大限に尊重しつつ、下記のような狙いを持っている。
- 他人に対する嫌がらせ、個人に対する名誉毀損・侮辱などを意図した投稿の禁止を利用規約に明記して啓発する、違反者の利用を停止する、被害者への必要な支援などを推進する、等を徹底する。
- 捜査や法令(プロバイダ責任制限法)に基づいた情報開示を求められた場合、法令に基づく適切な範囲で、必要な情報を提供する。
- インターネットやSNSを介した誹謗中傷を防止するための更なる対策を検討する、SMAJの全ての理事から成る特別委員会を設置する。
8. 自己情報コントロール権から「見たくないものを見ない自由」を保障すべきという議論
徐東輝は、「見たくないものを見ない自由」が真正面から語られるべきだという主張を展開している16。「プライバシー権という新しい人権は、かつては「私のことは放っておいて」という消極的権利として、自由権的に捉えられていたが、現代においては、「自らの情報をコントロールする権利」として請求権の要素も含んだ形で再構成されている」。
同じ発想から、「自ら発信し、受信する情報についてコントロールする権利が与えられるべき」、「自分が発信した情報に対して、リプライを受信するかどうかは自分でコントロールできるべき」ことが主張されている。
- 78 -「すでにこの自由を実現するアーキテクチャが、多くのプラットフォーマーで実装されていること」(たとえばTwitterのブロック、ミュート機能やYou tubeのコメント禁止機能などは「見たくないものを見ない自由」を保護するもの)、「これを拡大し、たとえばTwitter上で私たちが発信するツイートについても、リプライやリツイートを私達自身がコントロールできるべき」、「たとえば1分に10通以内にはリプライを受け取らないだとか、フォローしている人以外のリプライは受け取らないなど」のアーキテクチャが、Twitterにも拡大されるべきであると、徐は主張する。これにより、大量の一斉攻撃を予防的に防ぐことが出来るという。
徐によれば、「法律でも同じような発想に基づく規制がある」ことが指摘されている。「特定電子メール法と言われるもので、簡単に言うと、同意していないメールマガジンは配信してはいけないといったことが定められている。これもやはり「見たくないものを見ない自由」に当たる」。
このように自らの情報の発信・受信をコントロールできる機能の実装を、サイト管理者に求めることで、予防的に一斉攻撃を防ぐことができるのみならず、「誹謗中傷と批判の線引きって…」といった定義などが不要になり、萎縮効果も防ぐことが出来ると、徐は指摘している。換言すれば、目にする情報の取捨選択を国家やサイト管理者に委ねることなく、自ら主体的に選択し、ユーザーがイニシアティブを取るということになる。
「情報の大海の舵取りは、ユーザーと国家、サイト管理者の役割分担で行うべきであり、ユーザーに委ねる裁量を大きくしていくことで、「見たくないものを見ない自由」を保障していく社会にしていくべき」という議論は、「国家権力による言論統制」とは全く異なる角度からのものであり、一考に値する。
結びにかえて 憲法12条で戒められていることの大切さ
日本国憲法12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と規定している。
- 79 -憲法が保障する人権は、濫用してはならないこと、国民の不断の努力により保持されるべきこと、常に公共の福祉のために利用する責任を国民が負っていると、12条は戒めている。
SNSや、学校裏サイトにおける誹謗中傷の氾濫は、「表現の自由」という人権を国民が「濫用」している、と見ることも出来る。憲法が保障する人権の中でも、とりわけ重要な権利とされる「表現の自由」だが、このような形で「濫用」されることが続けば、政府(国家権力)により「表現の自由」が規制される道を国民自らがひらいてしまう、ということにもなりかねない。
折角、憲法で大切な人権が厚く保障されているのに、国民による当該権利の濫用によって、権利に対する制限が正当化されてしまうという事態は、何とも寂しいもの。そのような事態を防ぐために、「表現の自由」の価値が正しく理解され、それが広く啓蒙されることが期待されている。
- 80 -- 金尚均「SNS 上の表現に対する法的規制」『立命館法学』375・376号(2017年)169頁。 ↩︎
- 正式には「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」(2002年施行)。詳細については、加藤敏幸「プロバイダ責任制限法について(上)」『情報研究 : 関西大学総合情報学部紀要』22号を参照されたい。 ↩︎
- 先述の「滝川高校いじめ自殺事件」では、学校裏サイトの管理者に対し、55万円の損害賠償支払命令判決が確定している。 ↩︎
- 2020年6月高市総務大臣。 ↩︎
- 渡辺康行・宍戸常寿・松本和彦・工藤達朗『憲法Ⅰ・基本権』(日本評論社、2016年)214頁。 ↩︎
- 同上215頁。 ↩︎
- 宮川康子「新しい民主主義を求めて - 劉暁波と" 民間" の思想」『京都産業大学日本文化研究所紀要』17号(2012年)参照。 ↩︎
- 廣江倫子「香港国家安全維持法の概要 - 曖昧な条文とその射程(前編)」『大東文化大学紀要』60号(2022年)239頁。 ↩︎
- 渋谷秀樹『憲法第3版』(有斐閣、2017年)349頁。 ↩︎
- 同上。 ↩︎
- 伊藤正己『憲法第3版』(弘文堂、1995年)217頁。 ↩︎
- 同上。 ↩︎
- 一藤哲志「令和2年総務省令第82号の施行前に特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者がプロバイダ責任制限法(令和3年法律第27号による改正前のもの)4条1項に基づき上記施行後に発信者の電話番号の開示を請求することの可否」ジュリスト1591号(2023年)参照。 ↩︎
- 「発信者情報の開示請求権」。 ↩︎
- 『AERA』2020年6月15日号参照。 ↩︎
- 徐東輝「インターネット上における「忘れられる権利」及び「見たくないものを見ない自由」を考える」『月報司法書士』591号(2021年)参照。 ↩︎